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The Road to Stardom

Sometimes win sometimes lose but we always friends everybody a friend. so it doesn't matter the result. we are happy and we keep looking forward to the next.

LoLとわたし

LOLは様々な状況把握をしなければいけないゲームだ。
なぜ、そう言えるのか。これは、シーズン5にプラチナ3までに到達した私の意見である。あくまで個人の主観であるため、他のプレイヤーが見たら違うと感じるかもしれない。
状況把握をしなければいけないゲームだ。とは言ってるものの、実際には状況把握をしなくてもゲーム自体は楽しめる。
あくまでも、上のRankに行くために必要なことなのである。このことは、私の経験したことを元にして話をしていきたいと思う。

私は現在社会人一年目。所謂新卒である(もう少しでその肩書も終わってしまうが)。
社会人になる前の学生の頃よりも、Rankが高くなった(ゴールド1→プラチナ3)。
会社勤めになり、学生の頃の猿みたいにゲームをしていたときよりもゲームをする時間が減ったのにも関わらず、Rankが上がった。
何故か。それは、様々な状況把握をよりするようになったからである。

状況把握をする。単純な言葉だが、意外と奥が深いし、沢山の要素がある。
そこで、実際に私がするようになったことの例を挙げていこうと思う。

状況把握をすることで、最も大きかった変化はイグナイト持ちからテレポート持ちに変えたことだろうか。
私は、Vladimirというチャンピオンが大好きで、シーズン3からずっと使ってきた(ホモ設定を付け加えた奴は絶許)。
その頃は、どのレーンでもイグナイトフラッシュを持ち、レベル3ファーストブラッドを狙っていくようなアグレッシブなプレイスタイルだった(前にも書いたが、偉大なる韓国人プレイヤーの動きを完コピしただけである)。
レベル3ファーストブラッドというくらいだから、レーンだけに物凄く集中していた。ここで引けば相手のスキルを空打ちさせることが出来るなど。とにかくレーンが全てだった。
レーンで勝てれば、自分が育つ。アイテムによる伸びしろが高いから、他の奴らより強い。そんなことしか頭の中になかった。これが学生時代(ゴールド1)のプレイングスタイルであった。

そんな私にも転換期があった。学生時代の終わりごろだっただろうか。
いつものようにRankをプレイしていたとき、いつも通り対面をレベル3ファーストブラッドしてボコボコにしていた。
しかし、そいつは今までの奴らとは違った。テレポートの使い方が上手かったのだ。そいつの的確なテレポートによって試合を壊されてしまったのだ。ボコボコのケチョンケチョンにした奴がだ。
その試合の一件で、私は味方のレーン状況の把握が試合の勝敗に関わるということを学んだ。ものすごいショックを受けたものだ。
それが、私のプレイングスタイルを見直すきっかけとなり、イグナイトからテレポート持ちになった。

イグナイト持ちだった頃は、グールプアップするまでの味方が有利不利のどちらに傾くのかは、全くの運任せだった。
が、テレポートを持ち、味方のレーン状況を意識するようになったことで、今まで運任せになっていたことを自分の手で動かせるようになった。
テレポートを使うタイミングが失敗して不利になり負ける試合もあったが、それ以上に成功して試合を有利に運べる展開が増え、勝利に導くこともできた。

つまり、私は他のレーン状況を気に掛けるようになったからこそ、Rankが上がったのだ。
もちろん、他のレーン状況を気に掛ける他にも、テレポートのタイミング等のテクニックを上達させたのは言うまでもない。
直接的な要因ではないが、レーンやマップなど試合中の「状況把握」をしたからこそ勝てたと言えよう。
この経験は、ゴールド1程度の実力を持つTOPプレイヤーは、テレポート周りの技術を磨くだけで、プラチナに上がれる事を意味しているのではないだろうか。
だからこそ、私はLoLは様々な状況把握をしなければいけないゲームだと思っている。

私はとあるプレイヤーのお陰で、ハッと状況把握の大切さに気付き、それを実践することでRankを上げることができた。
まさにそういう、自分でハッたと気付くことが大切なんじゃないかと思う。それが自分を成長させるものであるから。
多分、その気付きは人によって異なるとは思う。
だから、”何に”気づけとはアドバイスをすることはできない。私の場合は、たまたま状況把握だっただけなのだ。
でも、恐らくそれは、本人に足りない何かではないかとは思う。

毎試合その気付きはあるわけではない。もしかしたら、毎試合起きているのかもしれないが、そのことに気付くかどうかは別である。
つまり、試合数を多く回すことは、その気付きが発生する確率を増やすことと同義であるんじゃないかと思う。
猿みたいにゲームをした結果、気付きがあったからこそ、試合数が少なくともプラチナ3まで上がることができた。
私はそう確信している。

初心者はその気付きに達するまでの試行回数が足りないのだと思う。
沢山試合をこなせば、ハッと気づくこともあるだろう。
だが、たくさん試合をこなしているのにも関わらず、下手な人も居るかもしれない。
その人は気付くべき点(ハッとなるポイント)が分からないのだと思う。
コレをすればうまく行くんだけどなーと、頭の中に思い浮かべていないから気付かないのかもしれないし、そのことに対して意識を割いていないのかもしれない。
頭の中に思い浮かべられていれば、その場面が訪れた際にあっなるほど!となるはずである。
私の書いたVladについての記事は、頭の中にハッとなるポイントをイメージさせる手助けになるかもしれない。

これが私が送る、このブログを読んでくれる方達へのプレゼントである。
恐らくコレができれば、Rankは上がるだろう。1000RP賭けてもいい。



まあでも、1000RPを寄越せと言ってもあげることはないだろう。
大分前に、私はブログを始めたきっかけを書いた。
上手くなりたい。高レートプレイヤーの意見を聞きたい。その方に対して、自分の意見を聞いてもらった結果、その内容がどう映るのか聞いてみたい。
そして、それを自分が上手くなる糧としたい。

シンプルな欲求である。
上手くなりたいがために、私はこの欲求を叶えるためにブログを開いたと行っても過言ではない。
だが、現実はそうではなかった。高レートプレイヤーの意見が貰えるなんてことは一切なかった。
ビルドページとかマッチアップとかを書けば、これはこうなんじゃないかと物申す人が居ると思っていた。
見てくれる人の数が少ないから、しょうがないかなと思っていた。
でもそうじゃなかった。

高レートのプレイヤーが低レートのプレイヤーの書いた内容を見ても、ふーん知ってるよ。で終わってしまうのである。
なぜなら、低レートのプレイヤーが一生懸命書いていることは、高レートのプレイヤーはすでに自分のモノにしていることである。
すでに知っていることに対して、何か特別な感情を抱くわけでもなく、ただ流し見されてしまうだけである。
かくいう、私もそうである。

ここはこうなんだよと、親切に教えてくれる人もいるだろうけど、極少数だろう。
間違った意見を言っていたとしても、別になんとも思わない。
なぜなら、自分のなかで正しいという意見を持っているから。
自分の意見を親切に教える義理も無いし、間違いを訂正しようとも思わない。
だからこそ、流し見をされる。それだけである。

そのことに、気づいてしまったのだ。
今まで、ぼんやりとしかわかっていなかったことが、ハッキリと理解できてしまったのだ。

つまり、私が今まで書いてきたこと、高レートのプレイヤーが見てどう思うだろうか、意見をくれるだろうか?
なんて思って記事を書いてきたのは全部無駄無駄無駄無駄であったのだ。
高レートからしてみれば、私の書いてきたことは流し見される程度のことであったのだ。
なんと愚かだろうか。このコトに気づくのにどれだけ掛かったろうか。

そもそも、高レートだと言うことをどうやって判断するのだろうか。
自己申告してもらうのか?
口では、文章ではどうとでも言えるし、嘘か本当なのか分からない。
コメントをする際に、OPGGでも貼ってもらうか?そんなことをしたら、誰もコメントしなくなるだろう。

高レートの方から意見をもらう。
なんて実態のない、現実味のない目標だろうか。
私はそんな空虚なモノを信じて、目標にして、ブログを書いてきた。
でも、その現実に気づいてしまった。いや気づいていないふりをしていたのかもしれない。
私の中で何かが壊れてしまった。

私が現実に気づいてしまった後、なぜそれを目指そうとしたのかというきっかけを思い出した。
私はLoLというゲームを友人から勧められて、始めたクチだ。まあ良くあることだろう。
週替りでローテーションされるチャンピオンを使っては、○○はすごいよね!なんてキャッキャと話していた。
向こうはある程度やりこんだ経験者であって、初心者の私が喜々として話していたことに対してどう思っていたかは、
今となっては分からないが、とにかく楽しかった。

自分の意見をあーだこーだ言って、自分より経験者である友人がそれに答える。
納得いかなかったら、トコトン議論しあった。
実際に遊ぶよりも、顔を突き合わせて議論し合うほうが楽しかった。

だが、それも今ではできなくなってしまった。
この世界から去ってしまったのだ。もう議論することもできないし、友人の当時のRankよりも高くなってしまった。
私は孤独になってしまったのだ。その頃から、私はどこかが狂ってしまったのだと思う。
孤独とは言っても、当時は周りに他の友人もいたし、孤立しているわけでもなかった。
心にポッカリと穴が空いてしまった感じだ。

どんなに周りに囲まれても、どこかに孤独感、寂しさが常にあった。
笑っても、どこか引きつっているかんじがした。
それから、ゲームをすることにのめり込むようになった。
今考えると、ただの現実逃避だったのかもしれない。

やがて私はブログを始めた。
どうして始めようかと思ったのかは分からない。
でも、今なら理解できる。
私は、かつての友人のような議論し合える人を追い求めていたと。 寂しかったんだ。

ネットの広い世界を探せば、そういう人が現れるかもしれない。
そう信じていた。
が、現実はそう甘くはなかった。現実は非情である。ただその一言に尽きる。

ブログを通して、様々なことを教えれば、いつかは議論し合えるようになるかもしれないと希望を持っていたが、
そんなことはもうどうでも良くなった。
議論し合えるまでに、一体どのくらいの時間が掛かるかも分からないし、ゲームすること自体をやめてしまうかもしれない。
確率が低すぎる。現実的じゃない。

人の夢は儚い。まさにそのとおりだ。
正直ここ暫く、もうどうにでも良くて、記事を書くのをやめようと思っていた。
だが、私の思いを書いた記事にコメントしてくれた方々に申し訳ないと思って、今回の記事を書いた。

ここまで思いの丈を書いてしまったからには、もう後戻りはできない。
この記事を見た人はどう思うだろうか。
同情するかもしれないし、みっともねーなと笑うかもしれないし、はたまた何時も通り流し見されるかもしれない。

でも、こんな動機で始めた奴が居たんだと、最後には知ってもらいたかった。
議論し合える友人が欲しい。
なんて、しょうもない動機でブログを1年以上書き続けた奴が居たことを。