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The Road to Stardom

Sometimes win sometimes lose but we always friends everybody a friend. so it doesn't matter the result. we are happy and we keep looking forward to the next.

■人の心にある、求める要素

雑記

最近ニュースを見ていて思うのだけれども、人の心の中には、何かを求めている要素があるんじゃないかと思う。  

 

私の場合は、「妄想を語り合える人物が居てくれること」を求めている。1人で語り合うのには無理があるからなのだ。そのようなことは、人によってはどうでもいいと感じる人もいる。でも当人からしてみれば、何としてもそれをなし得たり、喉の奥から手が出るほど手に入れたがってたりする。その程度さには、大なり小なりあるとは思うケド、皆何かしらは持っているんじゃないかと思う。  
 
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「何としてもそれをなし得たい」という点で、私の頭の中にパッと思いついたのは、ベルセルクという漫画に出てくるグリフィスというキャラクターである。彼は、自分の国?王国だったかを手に入れるために戦場を駆け巡ったのである(だいぶ前に読んだので、ちょっと記憶が曖昧だ)。私からしてみれば、どうしてそれを目指しているのかは共感はできなかった。それも当然で、私はグリフィスでもないし、国を手に入れたいと思うような体験や経験をしてこなかったからである。それは、仕方のないことなのである。  
 
少々ニッチな例えを出してしまったが、このブログを読んてくれてる皆さまも見たことのある例を挙げてみるとすれば、Vladimirの名前は何と呼ぶのが正しいのか言い合いってることを挙げる。  
 
人によっても、国や地域によっても、呼び方が異なるため、度々何が正しい名称なのか言い合いをされていた話題ではある。議論ではなく、言い合いと称しているのは、発言内容の根拠のなさからである。ちょろっと、この地域ではこう言う読み方をされているよと書いただけでは、そのことに対する正当性について、なんの根拠にもならないからである。もし、そういう名称の読み方がされているという証拠なりのURLを記載でもしてくれれば、信憑性はグッと高まる。まぁでも、たかが1・2行書かれる程度の内容に対して、そこまで手を書かけるのは、バカバカしい。今日では、Vladimirの日本語名称が正式に?決まってしまったため、再び日の目を見ることはなさそう話題ではある。  
 
私からしてみれば、この言い合いは凄くどうでも良いことだ。私の場合は血を操る魔術師という点を踏まえて、ブラッドと読んでる。別に声を挙げて、どんなに読み方が正しいのか決めようとは思わず、自分自身の読み方が確立してさえすれば十分であると考えているからだ。  
 
だからこそ、私から見れば意味のない事を言い合っているように見える。だが、声を挙げて言い合う方達には、それをするだけの何かしらの価値や感情、思いがあるのだと思う。自分の考えを皆に統一させたいとか、間違っている事を正そう、などなど様々な感情や思いがあるのではないだろうか。  
 
なぜ、そんな事をするのか?この言葉は、私の「 妄想を 語り合える人物が居てくれること 」を求めることにも共通して言えることだ。そのような考えに至るまでには、それなりの過程があったのではな いかと考えられる。私の場合は、孤独感や対人恐怖症、それから発生した逃避手段(妄想やゲームなどすること)である。それらは、人が生きていく過程で身体に染み込んだものではないだろうか。あくまでも、私の経験則から言っていることであって全く心理学等について知識はない。このようなことを言ってるのは、自分の経験からしか言えないのだ。このジャンルについて正しそうな見解を得るには、それ系の学問を学ばなければいけないだろう。もしかしたら、偉大なる先人さまが何かしらの結論を出しているのかもしれない。  
 
現状では、「なぜ、そんな事をするのか?」は、当人が経験した事柄が由来になっているのではないかと私は推測している。  
 
だから、自分から見て理解できないような行動をとっている人がいるとしても、それは自分はそれに至るような経験や思い、感情を抱いたことがないからそう思うのではないだろうか。 だから、「 妄想を 語り合える人物が居てくれること 」に対して共感したり、どうでもいいと感じる方がいるようにだ。  
 
ニュースにもなった例を挙げるとすれば、キングオブコメディの人が女子高生の制服を20年(定かでないが)に渡り、盗み続けていた事件がある。そして、その動機は自分の性欲を満たすためであったという(すべてニュースで得た知識であり、当人にインタビューしたこともないから事実なのかは不明だ)。私には何故そのような事をするのか理解できない。当然、それに至る過程や出来事を経験してないから。盗んだりすることは我慢できそうなことだけども(今はインターネットで色々なものを買える時代だ)。しかし、当人にとってはそれは我慢がしきれないことなのだったのだろう。私の「 妄想を 語り合える人物が居てくれること 」と同じように。  
 
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「なぜ、そんな事をするのか?」を考えることは、その人が歩んできた過程を知ることと同義なのだはないだろうか。なぜかは知らないけど、私にはそれが非常に気になるのだ。だから、あれこれ妄想してみる。一番最初に目覚めたきっかけとは?などなど。汚い話だし嫌に思う人もいるだろうから、これ以上は詳しく書くのは止めよう。この点は、妄想好きから発展したのかもしれない。
 
まあでも、「なぜ、そんな事をするのか?」を考えることは、他人を理解することなんじゃないかと思う。「あの人変な行動してるわ。訳わかんねえ奴だな。」としておくのではなく、「どういう過程があったんだろうか?○○があって、そうしてるのではないだろうか」?のように、否定的/排他的な考え方から、前向き?な考え方にシフトすることができるわけだ。  
 
最終的には、その人に対する見方が変わってくる。それが良いのか悪いのかは分からないが、第一印象からの決めつけはなくなる。  
 
その人と関わる事があるのなら、話をしてみて歩んできた過程を聞くのも良い。そして、その事と自分が考えたことと照らし合わせてみる。いわゆる、答え合わせという奴だ。それをすれば、変な見解や思い込みも幾分か修正される。  
 
私がこれから個人的にしようとしていること(屋外活動)は、知らない人との接触である。全くどういう人なのか分からない状態から始まるので、他人を知ったり理解することは重要なことになってくると思うのではないだろうか。